「夢」とは
子供の時、「将来の夢は?」という設問で何度か課題をした記憶がある人も多いことと思います。
「夢」という言葉には大きく二種類の意味があり、一つは「人が眠っているときに浮かぶもの」であり、もう一つは「個人の考える願望」です。
最初の設問である「将来の夢」というのは後者のことで、自分が何年かあとどんな生活をしていたいか、という理想を考えたものが「夢」ということになります。
眠っているときに見る夢は自分自身でコントロールをすることは難しいですが、現実に生きている自分が理想として考える夢は自分で叶えるための努力をしていくことができるということに違いがあります。
よくプロ野球選手やメジャーリーガー、または有名なミュージシャンなどが一つの成果を達成したときに「子供の時からここに立つのが夢でした」といったことをスピーチしますが、それもただ夢を夢のまま終わらせるのではなく、努力を積み重ねた結果からの発言なのです。
憧れとの違い
そこでちょっと考えてもらいたいのが「憧れ」という言葉についてです。
「夢」と「憧れ」というのは一見同じようなことのように感じますが、細かくつきつめてみると、その意味は全く違ったものになります。
「夢」というのは冒頭に述べたように自分が将来どんな姿になりたいかという理想を形にしたものですが、一方の「憧れ」というのは既に自分以外の誰かが達成している姿を見て、自分もあんなふうになりたいと考えることです。
「憧れの人」といった言葉がよく使われますが、それも例えば若くして実業家として成功して大金持ちになっていたり、芸能人など有名になって多くの人から応援してもらえたりすることが前提となっています。
こうした憧れの気持ちは心理学的には「モデリング」といい、特定のモデルとなる人や行動に対し、それに自分がとって代わりたいという欲望と定義されています。
「憧れ」や「モデリング」は決して悪いことではなく、例えば小さな子供などはかっこいいヒーローや周りの大人を見て、自分を同一してなりたいという気持ちを持って自分を高めていくものです。
ですが大人になってもそうした「憧れ」ばかりを優先させていると現実の自分の姿を見失い、努力すべきことを見失わせてしまうというデメリットが出てきます。
憧れだけを考えるデメリット
大人になってからの「憧れ」というのは子供のように純粋なものではなく、どちらかと言えば「羨望」や「嫉妬」といった感情が根底になります。
「夢」ということであれば自分自身で理想の自分に近づく努力ができますが、他人をモデルにした「憧れ」ではそもそもの土台が異なるので、ただの「羨ましい」の気持ちを出ることがありません。
また、憧れを元にした努力は所詮は誰かのものまねですので、自分自身の適正や幸福感とは全く違うことになります。